現実ってのは意外と厳しい
もし真珠湾攻撃で第3次攻撃を行っていたら、攻撃隊が帰ってくるのは日が暮れてから、ただでも難しい夜間着艦なのに当時は海も荒れていたから事故が多発するだろう。
さらに数時間余計に28ノットで走らされた護衛の駆逐艦は第一補給隊と合流する前に燃料が底をつきハワイの近海で空母あたりから燃料を分けてもらう羽目になっていたかもしれない。
もしこんな時、空母艦載機や潜水艦に襲われていたらどうなっていただろうか。
一見すると間が抜けて愚かに見える行いも、その裏には筋の通った道理が隠れている場合がある。
当時の人よりも色々とものが見えるのでついツッコミたくもなるが、もしあの時あの場所で彼らと同じ立場にいたならば私は歴史とは違う決断を下せただろうか。
世間で思われているほど日本軍に選択の余地は無かったのかもしれない。
ちなみに、利根4号機が米空母を見つけられたのは遅れて発艦した上に予定のコースから大きくはずれて飛んでいたからで、もし予定通り飛んでいたなら米空母を見つけることは……まあ神のみぞ知るということにしておこう。