現実ってのは意外と厳しい

【太平洋戦争・こうすべきだった!】 「戦いとは過誤の連続である。過誤の少ない方が最終的に勝利を掴む」とはクラウゼヴィッツの言葉だったかと思います(たぶん)が、日本軍は太平洋戦争/大東亜戦争にて無数の過誤をやらかしてきました。 そこであなたは軍司令官なり参謀になったつもりで、この作戦(局面)ではこうすれば良かったという事例を考えてください。 ※以下の?・?でお答え下さい。 ?やり直す事例と具体的な案(例:真珠湾攻撃で第3次攻撃を行って、石油タンクや港湾施設を破壊) ?やり直したことによる影響(例:史実以上の時間稼ぎになり、以後の行動の選択肢が増える。ただし機動部隊の消耗・損失が懸念される) ◎条件 ・期間:1941年12月8日4:20(日本時間)?1945年8月15日 ・超常現象(タイムスリップなど)や、当時実現不可能な技術は不可。 ・そもそも戦争すべきでなかった、というのは無しで。 URLは史実説明の記事を貼ってください。回答による説明文があればダミー可です。 ※自動締切の前日くらいまで受け付け、回答は全てオープンします。


もし真珠湾攻撃で第3次攻撃を行っていたら、攻撃隊が帰ってくるのは日が暮れてから、ただでも難しい夜間着艦なのに当時は海も荒れていたから事故が多発するだろう。
さらに数時間余計に28ノットで走らされた護衛の駆逐艦は第一補給隊と合流する前に燃料が底をつきハワイの近海で空母あたりから燃料を分けてもらう羽目になっていたかもしれない。
もしこんな時、空母艦載機や潜水艦に襲われていたらどうなっていただろうか。


一見すると間が抜けて愚かに見える行いも、その裏には筋の通った道理が隠れている場合がある。
当時の人よりも色々とものが見えるのでついツッコミたくもなるが、もしあの時あの場所で彼らと同じ立場にいたならば私は歴史とは違う決断を下せただろうか。
世間で思われているほど日本軍に選択の余地は無かったのかもしれない。


ちなみに、利根4号機が米空母を見つけられたのは遅れて発艦した上に予定のコースから大きくはずれて飛んでいたからで、もし予定通り飛んでいたなら米空母を見つけることは……まあ神のみぞ知るということにしておこう。